澄んだ水・受け継がれた土壌
大自然に囲まれた農園
ずっと変わらない美味しさを

よしおか農園

よしおか農園青パパイヤ物語

義父母の仕事を引き継ぎつつ、青パパイヤの生産を。
元市役所職員、50歳からの挑戦

妻の実家の味、美味しいショウガを残したい。

市役所を辞める決心をして、農家へ

私は群馬県富岡市に生まれ育ち、市役所職員として32年間勤めてきました。担当していたのは移住定住などの仕事。市の発展のためにこれまで力を尽くしてきたと自負しております。しかし、50歳の節目の年2020年3月に長年勤めてきた市役所を辞め、農業という新たな挑戦に踏み切りました。

 

「もともと義父母が代々農家として生活をしておりました。私も義父母の家のすぐそばで暮らしているので、農作業の様子はいつも見ておりました。ただ、休日に手伝ったりすることはほぼなく、もっぱら新鮮なネギやショウガ、畑でとれた様々な野菜をもらって食べる担当だったんですけどね。(笑)」

 

そんな私が仕事を辞めて農業をスタートしたにはいくつかの理由があります。一つは、農家を営む義理の両親が80歳を迎え、いつかは農業を辞めるときがくるかもしれないという時期にさしかかったこと。そしてもう一つは、両親の手掛けるショウガがシャキシャキととにかく美味しく、これを食べられなくなるのはイヤだな、と強く思ったことです。

50歳の節目で一大決心し
農業の道へ

私の義父母は、以前はニラも生産していた。しかし今から10年ほど前、史上まれにみる大雪が降った際に、ニラ栽培用のビニールハウスが雪で倒壊。それをきっかけに義父母はニラの生産をやめてしまったのだというのです。

「香りのいいニラで本当に美味しかったんですが、もう食べられなくなってしまって……。その時に、美味しいネギやショウガを食べられるのは決して当たり前なことじゃないんだと、改めて気づきました。ずっと残していきたいなら、自分の手で作るしかないんだなと」

そう考え私は、「義父母の年齢を考えれば、一緒に働きながら農作業を教えてもらえるのは今しかない!」と一大決心をして市役所を辞めました。やりがいのある仕事だったと市役所時代を振り返りながらも迷いはありませんでした。

「いつかは自分で仕事をコントロールできる“経営”もやってみたいという気持ちがありました。50歳という節目。子供たちも成長し、経済的な負担も落ち着いてきた頃合いでしたし、ちょうどよいタイミングだったんです。両親が苦労をしてきた様子を見てきたからか妻は大反対でしたけどね。(笑)」

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青パパイヤとの出会い、
そして、70本からのスタート

私がまず行ったのは、義父母が手掛けていた下仁田ネギとショウガの生産の手伝いでした。下仁田ネギは約40a、ショウガは約10a。もともと体を動かすことが好きだったこともあって、農作業は苦ではありませんでした。市役所でオフィスワークに励んでいたこともあり、自然の中で太陽の光を浴びて仕事をすることは新鮮で、心身ともに健康になったと感じました。さらに義父母と行う農作業の傍ら、早々に新たな挑戦にも踏み出しました。空いていた畑を使って、青パパイヤの生産を試験的にスタートさせました。

 

「ネギとショウガは両親から引き継いで生産を続けたい。でもそれだけではなく、せっかくやるならば、使っていない畑で新たな挑戦をしたいという思いがありました。青パパイヤはスーパーフードとして注目をされ始めていましたし、この周辺ではまだ生産している人もいなかった。やりがいは十分です」

 

調べていくうちに茨城に大規模な青パパイヤ農家があると知り、すぐに見学に向かいました。そこで聞いたのは、新規就農者でも青パパイヤは比較的手掛けやすいということでした。帰宅後さっそく、義父母の承認を得て試験的に70本のパパイヤを植えました。畑の広さは20aほど。「最初から多いのでは?」と心配する義父母。確かにネギやショウガの生産を手伝いながら、70本の株を世話していくのは並大抵のことではございませんでした。しかし、1本1本丁寧に手をかけ、みごとにパパイヤを実らせることに成功しました。

役所時代の経験を活かしSNSも活用し
多くの人にPR活動

「初年度は70本中、65本が順調に育ってくれました。ただ、収穫量の予想がつかなかったので、とりあえず収穫できたら近所のスーパーの直売コーナーに出荷することに。農協にもかけあうと、珍しいこともあり高く買い取ってくれました」

 

販路を獲得した後、私は販促活動にも力を注ぎました。まだ社会に浸透してない青パパイヤを知ってもらおうと、知り合いに声をかけて青パパイヤを配り、モニターとして調理をしてもらったり、その写真をSNSで拡散してもらったりしました。

 

「直売コーナーで手に取ってもらえるようPOPなども作りました。そこで紹介したのは青パパイヤの栄養分や美容効果のこと。さらにモニターさんからもらった料理写真もたくさん掲載して、より多くの人に購入してもらえるよう工夫を凝らしたんです」

 

生産だけではなく、手に取りやすさまで考え抜く仕事スタイルは、市役所時代の経験が役にたちました。FacebookやInstagramの活用も時流を捉えられたのではと思っています。

 

直売コーナーに何度も通ううちに、知人がパパイヤの苗を作っていることが分かり、パパイヤ仲間にも巡り合えました。まずまずの成果が出た1年目の経験を活かし、2年目となる2021年は、さらなる飛躍に向けて動き出しました。

拡大はそんなに簡単ではなかった。
2年目の失敗。

生産2年目、私は青パパイヤの生産面積を10aから35aに拡張。そして初年度から5倍以上となる400本の株を植えた。

 

以前と変わらず下仁田ネギとショウガは義父母がメインで担当。それを手伝いつつ、青パパイヤは私1人でメイン担当をする。できるかぎりのことは自分でやらねばならないものの、株の手入れをするにも400株はなかなか大変な規模だ。

 

毎年、株を植え替えなくてならない青パパイヤは、株の生育がうまく行くかどうかが収穫量に直結する。大きなプレッシャーを抱えつつ、日々私は青パパイヤの株に向き合った。しかし、結果は厳しいものでした。

作物は赤ん坊と同じ。しっかり思いやって、
いい環境を整えてやらなければ立派には育たない

「手間のかけ方が均等にならず、どうしても行き届かない部分が出てきました。さらに、夏の長雨と日照不足の影響で、いくつかの株が根腐れを起こしてしまいました」

 

大きく生育してから10本近くの株がばさばさと倒れてしまったことに、私は悔しさをにじませた。加えて、本数を増やして出荷量は増えたが、そのおかげで農協での買取価格は下がってしまった。「一筋縄ではいかない」ということを実感した瞬間でした。

 

「生産も販売も、今はまさに挑戦と失敗を繰り返している最中ですね。昨年をベースにして今年の生産を考えていましたが、天候や気温は年によって違います。その時々で臨機応変に対応していかなくてはならないことが、身に染みて分かりました」

 

ふと「作物は赤ん坊と同じ。しっかり思いやって、いい環境を整えてやらなければ立派には育たない」という義父の言葉を思いだしました。

 

これを実感したのは、パパイヤを植えたばかりの春先のこと。朝晩が冷えるので、温度が下がりすぎないようにと夜から朝にかけてパパイヤの苗にカバーを被せていた。しかしどういうわけか、いくつかの苗が枯れてしまったのだ。保温が十分にできなかったとばかり思っていたが、この様子を見ていた義父からは「それは寒すぎたんじゃない。カバーをしている間に日が昇り、暑くなりすぎて枯れたんだ」と指摘を受けました。

 

「朝晩の冷え対策は、カバーを被せておけば大丈夫だと思っていたんです。まさか暑くなり過ぎることがあるとは思ってもみなくて。義父の言葉で、その日の天候によってカバーを外す時間をずらすなどの配慮が必要だったのだと改めて気づかされました。農家の仕事は本当にごまかしがきかない。一つひとつ、気づかって、手をかけていった先に結果があるんです」

 

義父は今でも「いまだに満足のいく野菜ができたことはない」と語るという。いいものを作るためにどれだけ手をかけるか。際限がないからこそ、答えは自分で見つけ出さなくてはならない。私はまだそのスタートラインに立ったばかりなのだ。

よしおか農園

〒370-2344  群馬県富岡市黒川826-1
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